
恋愛の相談にいらっしゃる方がお持ちの悩みに多いもののひとつとして、
自分のパートナー(恋人や配偶者)が本当に自分のことが好きなのか分からないというものがあげられます。
しかも、分かりやすく冷たかったり乱暴だったりするわけでもなく、優しくて親切な相手に対してもそう思ってしまう。
これを読んでいるみなさんの中にもそういった経験のある方がいらっしゃるのではないでしょうか。
いったいどうしてそういう事態が起きてしまうのか、今日はそういうテーマで書いていきたいと思います。
好きなタイプは?と聞かれて、優しい人と答える人は少なくないと思います。
でもそのとき頭に思い描かれた「優しさ」とはどういうものでしょう?
「私にとって都合のいいこと」を「優しさ」と言い換えてはいませんか?
優しさ(私にとって都合のいい種類の)を持ったパートナーというのはとても魅力的です。
気配りやサービスが充実していて、まるで保護者のようにあなたを大事にしてくれるでしょう。
しかしその充実感=愛されている実感と捉えることは非常に危険です。
そういう種類の優しさに対して人の心は耐性がついてくるもので、同じ充実感を得るためには量を増やさなければいけなくなり、
まるで薬物のように接種すればするだけどんどん欲しくなります。
そうして要求が増えていけば、知らないうちにあなたの態度は横柄になり、相手はだんだん疲弊して、
気づいたときにはあんなに幸せだったふたりの間に気まずい空気が流れるように。
稀にどんなに要求されてもまったくめげず、それどころかむしろ求められることで生き生きしてくる滅私奉公型の人もいます。
それなら需要と供給が合致してていいじゃないかと思われるかもしれませんが、
それはそれで共依存関係を構築していまい、精神的にすり減っていく一方ですのでよろしくないでしょう。
ではどうすればそういう気まずい関係にならずに済むのか。
それは自分のなかの足りない部分を、相手に埋めてもらおうとしないことです。
「私にとって都合のいい優しさ」は、自分の欠点を自分で乗り越える機会を失わせ、ちょうどいい温度で人を怠けさせます。
そしてその生ぬるい心地よさを手放したくない一心から相手への要求をエスカレートさせます。
相手が疲弊しサービスを止めたとき、この記事の冒頭にあったようにあなたは、
相手が本当に自分のことが好きなのか疑問を持つようになりますが、よく考えてみてください。
自分の気持ちよさを確保するために相手を疲れさせてなおサービスを要求しつづけるという行為は、相手を愛するが故と本当に言えるでしょうか?
「ひとりではいられないから一緒にいるのではなく、ひとりでも生きていけるようになったから誰かと一緒でも生きていける」
と、これは某有名人が結婚したときに言った言葉ですが、これこそが健全な関係と言えるのではないかと私は思います。
精神的に自立し、相手の本質を見られるようになってこそ、恋愛や結婚におけるパートナーとの関係性はおもしろくなっていくのではないでしょうか。
吉統
今すぐ無料相談料最大20分を使って相談してみる!
【優秀なカウンセラーのみ厳選】
公式LINEを友達登録して
【お試しメッセージ相談】をする!
どんな相談室なの?






