あなたの普通は 私にとって「普通じゃない?」

結構、センセーショナルな見出しになってしまいました。
今回のブログは、
「普通」について取り上げたいと思います。

ちなみに普通と常識の違いって、わかりにくいですよね。
この違いにおいて前もって簡単に説明してみますね。
ざっくり解説しますと
「普通」とは、個人個人の基準で定めたり、認識した物事、に対し
「常識」とは、社会的な生活を共有するもの同士が、共通認識として定めた基準や物事について表します。

今回は、この「普通」という言葉の方に焦点を当て、知らず知らずのうちに
人間関係でモヤモヤしている方のお役に立てれば。。。と考えております。

日常会話で何気なく使ってしまう「普通」という言葉が人を悩ませる。

日本人の私達は、とりわけ他人の目を気にする民族だと言われています。
小さな島国では、隣の人とうまく折り合いをつけ、仲良く生活してこそ
一人前と評されてきた文化。

一概に悪いわけではありませんが、この他人の目を気にすることで
発動するのが「私にとっての普通」ではないでしょうか?

皆さんも誰かとの会話の中で、こんなこと発していませんか?
「普通だったら 〇〇するよね?」
「普通 〇〇なこと しないよね?」
そして お相手はこんなふうに応えるのではないでしょうか?
「そうだね 普通〇〇するよね」
「うん 私も〇〇なこと 普通しないね」

多くの日本人は、
会話の中で自分の「普通」と他人の「普通」との間に違和感を感じても、
特段意識もせず他人の「普通」に同調してしまうケースが多いようです。

まさにこれが、他人の目を気にしている証拠のように見えます。

・相手に反論したら傷つくんじゃないか?
・こんなことで波風立たせたら みっともないのでは?
・自分の普通が間違っているんじゃないか?

などなど・・・ 無意識にあれこれ浮かび上がり、
結果的に同調することを優先させてしまいます。

しかしながら、その場は丸く収めても、後から思い出したように、
なんだかモヤモヤする、ということはないでしょうか?
それは違和感を感じながらも、
同調してしまったある種、自己嫌悪かもしれません。

もしもあなた自身に「普通」とは、人それぞれ違うのだ。
という認識が備わっていれば、それほど違和感を感じずに済むはずですし、
自分が感じたまま相手に伝えることも、抵抗感を抱かないはずです。

【本来他人の目を気にすることは、
生活をより円滑に進めるための術だったはずなのに、
度を超えてしまうと、かえって生き辛さを増すことに・・・】
非常に皮肉なものです。

それでしたら、
「普通」という言葉との距離感が大事。

個人個人が思う「普通」とは、
冒頭にも述べた通り個々人で基準が異なり、それぞれの生い立ちや、価値観、生まれ持った個性で
成り立つ、かなり「歪なもの」です。

それなのに、ある程度公共性をもっている常識と同様に使用されるので、
ギクシャクしたり、違和感を感じてしまうのです。

相手の普通を変えることはなかなか難しいですが、
あなた自身の普通の捉え方や距離感を変えるのは、容易かもしれません。

各々が信じる普通とは万物共有でもなければ、非常にうたかたです。

どうか、他人の普通に振り回されないように・・・

美花

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