私はなんのために
生きてるんだろう
そんな言葉は 嫌い
生きてる意味なんて 求めない
人は 生まれて そして 死ねないから生きてるだけ
生きる意味は 天から降ってくるものでも
どこかからやってくるものでも
誰かに与えられるものでもない
自分で造り上げるもの
そんな生き方をしていれば、意味は必ずついてくる。
過去にこんな詩を書いていました。
私の知っている方の幼いお子さんが亡くなりました。
原因は先天性の難病で、言葉を覚えてよく喋るようになった年頃でした。
彼女は幼いながらも、死というものを理解していて、何度も死んだらどうなるか周りの大人に聞きながら、受け入れようとしていました。
優しい先生のアドバイスで、死んだら天国に行くけど、お母さんとお父さんとは一緒にいられる、少し着くのが遅くなるけど、そこで遊んでいれば、必ず行くからね、と伝えていました。
それが理解できると、次は、どうして私だけ死ぬのか、と疑問を持ち始めました。
大人たちは、誰でも死ぬのだけどいつかはわかっていない人もいるし、わかっている人もいる、そして産まれる前にお腹の中で死んでしまう子もいるし100歳になってから死ぬ人もいる、と。
彼女は、お母さんとお父さんに会えるなら、いつ死んでも大丈夫、と答えました。
両親はその言葉を信じていました。
彼女には小さな弟がいました。
弟は健康優良児ですくすく育っていました。
弟は長く生き続けるけど、自分は死んでしまう。弟が大きくなるたびにそれを疑問に感じはじめました。
ある時に、私は死んでしまうけど、弟は死んだりしないか、母に尋ねました。
母は弟は長く生きると答えました。
そっと抱きしめて、母が、「病気を直してあげられなくてごめんね。」と答えると、彼女は「パパとママに会えたから大丈夫」と答えました。
寒い冬の夜に意識がなくなり、寒い冬の朝に彼女は亡くなりました。
時々、母親は思い出すんです。
「死んでもお母さんとお父さんに会える」と話したことに納得していた娘が、「パパとママに会えたから大丈夫」と言ったのはナゼなのだろう。
何を思っていたのか、子供は何をわかっているのか、そしてなにがわからないのか。
看護師さんの話では、なぜ死ぬのに産まれてきたの?と聞かれたときに、「パパとママに会うために生まれてきたのよ」と話したことがあったそうです。
彼女の「会う」というのは、生きてる時なのか、死んでしまってからもいうのか、それはもうわからないままです。
なぜ、私たち生きてる人は自分が生きているのかなんて考えるんでしょう。
余命があと一月と伝えられて残念じゃない人はいるのだろうか
死にたい、と思ってる人を悪く言ったり否定したりすることはできないです。
ただ、もしかしたら、知らないことがあるから、そう思うだけなのかもしれない、って、時々そう思うんです。
息をするたびに希望も吸いこみ
鼓動する度に期待も膨らみ
目を開ける度に遠い未来まで見つめる
私達はそれを持っている
そんな命を彼女にもあげたかった
その気持ちは私も一緒です。
銀水あけ美
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