“死にたい“ この国でこれほどたくさんの人が、同じように感じている感情は早々ないと思います。

指標として、検索ネットワークのキーワード上位にはいつもこの言葉が長年王道で入っています。その他の上位キーワードは、時代風景や情勢、流行りによりガラガラと変わります。

だけど、この結果はよく理解できるものです。
私も過去にこの感情を持っていたこともありますし、今でも辛さの限界が来ると、楽になりたいと思う気持ちから死ねば楽になれるという考え方に変わります。

よく、死にたいという人に、死ぬのは苦しいし、失敗するし、後遺症が残るかもしれませんよ、と今よりも辛くなる想定のお話をされる方がいると思います。
このお話は、「楽になりたい」と思ってる自殺志願者の方には有効かもしれません。

自殺志願にはいくつか傾向があります。

・孤独で何もやることがなく人との交流もなく生活を維持することが重い負荷で生きることが苦労と寂しさでしかない人。お年寄りに多いです。

・若いけど、夢や希望がなくて(或いは叶わなくて)絶望や苦しみの中生きるのが辛すぎてここから抜け出したいと思って、その方法が死しかないと感じている人。

・また、理由の明確でない重度の鬱病にかかり漠然と死ななければならない、と感じてしまった人。
・生きている意味そのものを感じない人。
(共に大抵はトラウマやアダルトチルドレンからの幸せの定義の喪失からきます)

死への思いは上記のように様々です。

でも、大抵の場合、死にたいという言葉や表現は、助けてほしいという心理の裏返しでもあると私は思うのです。
これは、自分の欲しい物、夢、幸せ、そんなことが手に入らないが故に、それをどうにか手に入れないと辛くて苦しくて仕方ないんだ、という幸せへの願望への執着のような心理だと思われます。

私は、生きてる上ですべての人が願ったものを手に入れられるとは思っていません、どちらかというと殆どの人が手に入れられないで、「受け入れて」生きていくものだと思います。
ここを受け入れられるか、入れられないかは、その人の、その他の持っている気づきにくい幸せに関係してるような気がします。
家族がいるとか、働けるとか、五体満足とか趣味(楽しみ)があるとか、当たり前の幸せと表現される、そんな様な環境や恩恵などです。

その中で、気づけない幸せさえもすべてを失ってしまった人が本気の自殺を図ってしまうのかなと感じています。

つまり、
「死にたい」と思うことと「本当に死を望んでいるか」は、全く別物だということです。

正直、本当に幸せも、大切なものも何もなく心の底から死を望み、確実な方法で実行する人を止めることはとても難しいことです。
そういう方は死にたい、という気持ちも人に伝えなくなってきますし、死の間際には誰にも連絡せず、ただ確実に死ねるために邪魔をされたくないと強く願ってしまっているケースが多く、止める機会に至れないからです。

あなたの死を願う気持ちとは、違いがありそうですか?

そこで、あなたの「死にたい」がもしかして「助けてほしい」の裏返しの表現なのだとしたら、その「死にたい」という気持ちを、「どうすればいいか」に変えることはできるかもしれません。

「死にたい」という言葉を人に発すると、聞いた人は困ったり嫌な気分になるという概念がありますね。また、度が過ぎると(口でいうだけで本気じゃないんだろ)と軽率にも捉えられたりもします。

私は、「死にたい」は、
『死にたい気持ちを少しでも楽にできる魔法の言葉』
だと思っています。

もちろん、不快に思う方に言ったら迷惑になりますし、中々聞いてくれる人もいないのも事実です。

実は、私もその言葉を何度も言ったことがあります。死にたい、ではなく、「もう、死ぬ!」という言葉だったと思います。
私は本当に大切だと思っていたものを過去に失ったことがあります。それは人なのですが、その時、世界中のどこに行ってももうその人はいないのだと感じた時、底知れぬ絶望感と深い空虚感に支配されたからです。世界の裏側に行ったとしても、もうその人はいないのだと。そう感じた時、世界はこんなにも狭いのだという感覚も持ち世界中の知らない地域への期待も経たれました。

それから、どこに行っても何をしても苦しみから逃れられない人生を生き続けることができるのかわからないまま、暗闇の中に何年もいました。
幸せになれると思っていた夢さえもすべてやる気を失いただの過去になりました。

それですが、時間はかかっても、
今はこうして仕事をして、同じような気持ちを持つ人の話を聞いて生き甲斐としています。

人生は苦しみと悲しみの連続で、その中で時折、安心や幸福感を感じれるものなのだと思っています。
自分の人生には今後もその瞬間は絶対ないと言い切れる人はそういないと思っています。

ただ、
そこに辿り着くための気力がないだけなのですよね。
私もそうでしたから、わかることです。

私は、死にたいと思ったときには身辺整理が必要だと思っていて、いつも手紙や日記を書いていました。
だけど、その気持ちを人に話すということはしませんでした。
それは、そんな話を聞いてくれる人もいないし、迷惑だと思われるとやはり感じていたからです。

その経験をしてから、いま私は人のそんな話を聞きたいと思っています。
死にたい、が、助けて、の裏返しなのなら、助かる方法を見つけてあげたいという気持ちだと思います。

だから、こんな仕事を立ち上げて、そして同じ志や気持ちを持ってくれる、人の苦しみがわかる同志を集めて一緒に活動してもらっています。

今、人と話す気力がでないのも、わかります。
意味がないとも感じますよね。
この文章をここまで読むことさえも億劫だったと思います。

だけど、明日ならでるかもしれませんし、明後日だったら話したら、意味を感じるかもしれません。

だから、いつかは、いつでも大丈夫です。
「死にたい」と思う気持ちが少し楽になる方法はいくらでもあります。

あなたが、自分の死にたい気持ちに、少しでも答えが欲しかったり、疑問を感じたのなら、無料相談があるので使ってみてください。

話したら苦しみや悲しみの意味がわかり、感じ方が少し変わることがあるかもしれません。

生きる限りは、ずっと暗闇ではありません。
それは自分の先の人生を見ることはできないからです。

お話を聞けることを待っています。

銀水あけ美 あけみ相談室一同

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