明けましておめでとうございます!

年が明けて、今年の抱負も考えなければ、と思う中、また一つ年をとったな、ともしんみり感慨深くなります。

人は年をとるに連れ、ある年代まで自分の生きる意味を深く探るようになります。

そして、その意味がはっきりわからなければ、心は迷い、わかったとしてもより良い人生を求めます。

私も以前はそんなことをよく考えていたのですが、今は迷わなくなりました。

たいていの人は、

「人は幸せになるために生きている」

そう考えたいものですよね。

でも、そんな理想的な考え方があるものだから、

人は不幸だと思う日常に耐えきれなくなる生き物です。

少なくとも、

『幸せになる様に向かっている』

あるいは、

『いつかは幸せになれる』

と期待しながら生きていますよね。

かつて、宮沢賢治は「人はなんのために生きているのか」という問いに、

「それを知るために生きているのです」と答えました。

こんな風に、人は何にでも「意味」を求めます。

実際、人が生きるのに意味なんてあるのか?という疑問に、正しい答えが返せる人はいなそうですよね。

私も、いつも辛い時に耐えられなくて、なぜそんな思いをしなければいけないのか、それが役に立つのかと有意義な意味を探したり、

また、苦しくてどうしようもない時、なんのために頑張るのか、それが実になるのか具体的な根拠を知りたくなります。

根から暗い考え方の私w は、人の生きる意味に対して、「人は勝手に産み落とされたけど、死ねないから生きてるだけだ」と答えたりしていました、冗談のつもりで(笑)

だけど、心底それを冗談だと思っている程ではなく、今でも生まれてきてしまったからには生きないといけないなぁという概念はあります。

私がいつか書いた詩では、

「生きる意味は人が与えてくれるものでも、天から降ってくるものでもなく、自分で創り上げるもの」

そう書いていたと思います。

ある人からこの誌に、

「生きる意味を探すんじゃなくて、やりたいことやろうと思えました」

と、とても嬉しい言葉をもらった記憶があります。

そもそも、人生に良い意味を求めない考え方もあります。

これは仏教の教えですが、「人生とは修行だ」と言う理解をするものです。

健やかな魂だけで存在できた天国から、肉体という欲を持った厄介なものを与えられ、現世に落とされるのだとか。

肉体があると、生きるために苦労して食べものを探したり、体を温めたり守ったりしなければならないし、子孫を残すため欲情するし、そのどちらも維持するため物欲にも支配されるしで、肉体を持って生まれること自体がとても悲惨で大変な修行なのだとか。。

(これは修行なので、自殺をするともう一度やり直し、という概念に結び付くんだそうです)

この考え方なら、現代人のよくもつ苦しみに対抗できる気もしますね。

「自分がしたいと思うこともできなくて」

「自分が成りたいと思う人にはなれなくて」

「自分が欲しいと思ったものも手に入らなくて」

ただ生きるためだけに苦労して働いたり、我慢してルールを守ったり、人との格差に忍耐をし続ける、

そして、大切な人はいなくなり、

自分さえもいつかは死ぬ。

こんな、人としての運命や、苦難や苦しみさえも、そもそもが修行であるからには受け入れられる、という考えだそうです。

そして、死んで魂になると修行が終わり、大切な人にもまた会える、とかね。

つまり、人は考え方一つで、どんな環境も受け入れられるし、生きるために屈強な努力や挑戦も出来る、そんな「魂」をもった生き物なんだということですよね。

私は、無神論者ですし、何かの宗教を崇めているわけでもないのですが、こういう考え方は指標にします。

今は、人生に意味がなくても、何かのために生きてるわけでなくても、結局は生きなければならないわけですから

「人生はなんのためにあるか」ではなくて

「人生はどう理解して生きるか」なんだと思います。

そして、

生きた道が人生の意味を作り上げるのだと思います。

今年も一年が始まります。

2022年 謹賀新年 銀水あけ美



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